神恵内村





泊村から神恵内村の海岸沿いには石がつみあげられた古い袋澗がある。
以前に車で通りかかった時、この石積みを不思議に思い、家に帰ってきて
色々調べるとこれは袋澗(ふくろま)というものだそうだ。
袋澗とは明治・大正期に沿岸の漁家がニシン漁のためにつくった自家用の
生け簀兼入澗のことで、ニシン漁でとんでもなくさかえたこの界隈の
歴史を伝えてくれる。









  神恵内の漁場



  この日は3月27日。
  まだとんでもなく雪の降る寒い日だ。
  低い防波堤のなかを白い波が荒れ狂う。
  このあたりは沢口の澗、と名付けられていたそうだ。
  ひとつひとつの袋澗にはそれをつくった網元の
  名前がつけられている。
            







  ここからは5月5日にまた訪れた風景






  沢口漁場の倉庫

  赤いレンガの倉庫が今でも残っている。
  とても工費のかかりそうな袋澗をつくってしまう財力のある網元や
  そんな袋澗を作っても もとがとれるニシン漁・・
  想像つかないくらいの繁栄をニシン漁はあたえてくれた。



    








  残存している堤体の一部。
  袋澗をつくるのに必要なものだ。
  みかけはまるで煙突のよう。
  レンガのような石がつみあげられている。
  倉庫といいちょっとモダンでお金がかなり
  かかっている澤口漁場だ。
            










  キス熊岩

  「澤口の袋澗」


  「天保年間 古宇場所の発展に伴い本州からの出稼ぎ者が増加し、その中で天保2年に場所請負人
  場所請負人田付新助氏のもとに漁夫として澤口庄助が傭われ10年近い努力の末独立してここブイタウシ
  に漁場を築いた。その後安政六年にはニシン建網を経営しこの袋澗にニシンが溢れる程陸揚げされた。
  当時澤口の袋澗は道内最大の袋澗と言われ主にニシンの生簀として使用され明治・大正時代に全盛を極めた。
  それと正面右のキス熊岩もまたニシン全盛時代を偲ぶものとなっている。
  このキス熊岩の名前の由来は古老が語るところに拠るとにしん漁の時期に山から降りた夫婦熊がニシンを
  食べた後仲良くたわむれていたところからキス熊と言われたとも伝えられている。」
    
         
 










 田中の澗

 ぐるりと囲む石積み。
 とても美しい状態で残っていた。


 3月に来た時と違い、天気はよく波は
 しずかにこの堤防のなかで輝いていた。


 

      
         
 











  袋澗とはどういうものだったのか?

  せっかくたくさんニシンを採ってきても浜はせまいので陸揚げしてもまた大波にさらわれてしまったり
  運搬が間に合わず腐ってしまうのを袋澗の中では7〜10日間は保存できるそうだ。
  ちなみに袋澗をつくるのに当時で2万〜3万5千円かかり、今のお金だと2、3億円にもなるという。
  それでも袋澗をつくり漁獲量が増えまた袋澗をつくっていく・・そんなことができるようなすごい利潤を
  ニシン漁はうんだのだ。
    

         
 





  正確にきりだされた形の岩が
  きっちりつまれている。
  
  上を歩きながら岩場を覗くと
  小さな海藻がゆらゆらゆれて
  いい海の匂いがした。
               













  出町の澗

  遺跡の様に海にひろがる袋澗。
  きらめく海に四角くくぎられた石の堤体がとても美しい。 何度も大波によっては破壊され、また新しく
  つくられた袋澗。

  ニシンの大群は今もうこない。
  
    
         
 






    参考   「産業遺跡の旅」堀淳一著



   

         
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