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三笠市 幌内炭坑のある街へ
まずは幌内太駅のある本町へ。
幾春別川
炭坑の発展を見続けてきた川。炭坑がもっとも栄えた時にはかなり汚れていたらしいが、今は
人々の努力によりとてもきれいな川に戻ってきている。
橋の欄干にはアンモナイトの飾りが。化石の街、三笠。
今日は時間がなくて化石最中を買えなかった。今度来た時絶対買おうっと。
幌内線幌内太駅
幌内太駅は道内初の鉄道「幌内鉄道」が石炭輸送のため1882年に開通された。
1943年には「三笠駅」と名を変え、60年代まで三笠のヤマの拠点駅として栄えるもやはり炭坑
の衰退とともに1987年に廃止。
この駅は復元され何度も改築されているらしく写真で見るようにとってもきれいだ。
また鉄道技師クロフォードを記念したクロフォード公園が整備されている。
特急おおぞら
小さな丸い窓がとってもかわいい。
やっぱり「汽車」といって思い浮かぶのはこのデザイン。
本沢町へ。
音羽坑道の看板が。
下に案内が書いてあったらしいのだけどすでに割れてしまって
見られず。
車を付近に泊めてまずこのあたりを探索する事に。
久しぶりの山のあぜ道が楽しい。
少ししめった草の匂いをかぎながらテクテク歩く。
とにかく天気がよくって良かった!
用途はわからないが炭坑の遺物があちこちに。
先日の台風のせいでやはり道には折れ曲がった木の枝なんかが横たわっていて、車で入ってこなくて
よかったと一安心。あ、木の陰にレンガの建物が。
おそらく倉庫だと思われるレンガの建物。陽の光をあびてとってもきれい。
どこへ行っても炭坑の施設はお金をかけたハイカラなものが多い。栄華の極みか。それも今や夢の跡。
ベルト一斜坑本卸。平成元年11月1日。
このような入り口が二つ。たぶんここから石炭などをベルトで引き上げたりしたのだろうか。
幌内炭鉱の歴史
明治元年、幌内で炭層の露出面が発見され、明治12年、幌内煤田の開坑が着手された。石炭輸送の為北海道
初の鉄道も建設され、幌内炭鉱は昭和42年完成。
出炭量は順調に伸び続け、昭和48年には過去最高の143万6千tを出炭するまでになる。
しかし昭和50年に鉱内でガス爆発事故が発生、徐々に出炭量も落ちはじめ1989年平成元年9月にあえなく閉山。
このあいだの台風のせいか、もとからこうなっていたのかわからないが、たくさんの木くずが
山のように積まれ、そのかげにひっそりと鳥居があった。
鳥居のあせた赤が緑の中で栄える。
ところどころ崩れてコケむした石段とともに時代を感じさせる。
狛犬の横にある小さな幕には「堀内礦」の文字。静かに静かにタイムスリップしてしまう時間。
幌内炭坑変電所へ
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