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オタモイ遊園地跡と子授け地蔵尊 (小樽市)
小樽、オタモイ海岸にかつて大リゾート地が存在したことを御存じだろうか。
割烹料理屋の店主 加藤秋田郎はこの急峻な崖と奇石のなかに昭和11年
「オタモイ遊園地」を完成させた。一日数千人の人々で賑わったこの「夢の里」
は戦時中は営業停止、昭和27年5月に営業再開を目の前にしてあえなく焼失してしまう。
今日はこの夢の跡を歩いてみることにした。
辨天拝殿があった場所。
2枚写真をくらべると、左上の方にあるとがった峰を基点にするとわかるがひどく大きく豪奢な拝殿だ。
この遊園地の規模は当代一を誇り、相撲場等もあったという。
今のこの様子から全く想像もつかない。ここまでくるのにひどく車で細い道を通ってきたが、
昔、最盛期にはあちこちから来た客がここへおしかけてきたのだ。
更にここへ「辨天食堂」が建っていた。
なんと収容人数100人以上。中には宴会場もあった。
少しでも跡が残っていればまだ想像がふくらむが、ただのまっさらな土地になってしまった。
左の写真、このはげかけた欄干をすすむとこの遊園地がどれだけ桁外れのスケールだったかがわかることになる。
道がほそい。テクテク歩くと初夏の濃厚な草のにおいがただよってくる。
眼下にはオタモイの海。
山側にがけくずれ防止ネットがはりめぐらされているが、こんな危ないところを気持ちよく歩けるようにしてくれて
小樽市よ、ありがとう。
遠くに見つけた唐門。ここから見ると、本当にひどいところに建てたもんだと驚きつつ感動してしまう。
昔の人ってすごいなぁ・・・。
この門や拝殿、食堂、このあとにつづく「竜宮閣」などのデザインからこの遊園地は「竜宮城」とも呼ばれ
親しまれていた。
素掘りのトンネル。このようなトンネルがこの後にも続くのだが、またしても「昔の人はすごいなぁ・・」と
同じことを思ってしまう。
だいたいこんな断崖絶壁に遊園地を開園させようだなんて、万に一も今なら思わないよね。
もし残っていたら歴史に残る遺産だったのに・・・
悲しいくらい時間が過ぎていることがわかる。でもそれゆえに想像をかきたてられる。
しかしこのボロボロの門の中を覗くと、神様が
祭られていた。
とっても新しい祭壇。きれいな幕が張られている。
掃除も行き届き、地蔵尊の伝説があるこの場所が信仰の
とても深い場所であるということに気付かされる。
左の写真のまず海水浴客の賑わいに驚かされる。 崖の突端にお城のような建物があるのがわかるだろうか。
そこがちょうど右の写真でいうと崖がつきだしているところに建てられた「竜宮閣」になる。
「京都の清水寺を凌ぐといわれた竜宮閣は、切り立った岩と紺碧の海に囲まれ、まるで竜宮城のお伽の世界だった
という。」 竜宮閣は昭和27年にあえなく焼失してしまう・・・
またトンネルをくぐる。この素掘りのトンネルをくぐっていると埼玉の「岩窟ホテル」のことを思い出す。
高橋峰吉という人がひとりで一丁の鑿を手に岩盤をくり抜き(なんと二十一年間!)岩中にホテルを作った話だ。
やっぱり昔の人は根性が違うのか、ワンダーを追い求める精神が桁外れなのか・・・。
また出口にお地蔵さんと出会う。手入れが行き届いていた。
見下ろす浜辺。
海水がきれいなのかすけて藻のようなものが見えた。
もうすぐ子授け地蔵尊のある場所へ出る。
小走りになる。
草の間の真っ赤な鳥居。
これでゲタでも履いて浴衣に
へこ帯でもひるがえしていたら
当時の気分に酔ってしまえそう。
地蔵尊が祭られる一帯。
なんだか一瞬ひどく懐かしい
気分になる。
北海道にもこんな感じの場所があるなんて。
自動販売機があった。
これは商店?今日はひとっこひとりいないが海水浴シーズンになったらあくのだろうか。
「地蔵せんべい」が売られていたらしい看板。
はじめてこの雰囲気を感じた時、青森だ!と思ってしまった。つげ義春の「貧困旅行記」(新潮文庫)に
でてくる昭和45年 下北半島湯野川温泉の写真に似ているのだ。なんだかこの風景はすごく北海道的じゃ
ないような気がする。
賑わう当時の写真を見ると岩の上にも神様のお飾りが見えた。ここは信仰の篤い場所だが、この急峻な
場所にまつられていることで荘厳な空気は深くなる。
冬の間は当然ここは封鎖されてしまうだろう。
人に「小樽は見どころがない」といわれ、土地を捜し回った挙げ句、この難所を選び、遊園地はつくられた。
夢の遺物は少ないが、歩いていると昔の人々の意志や精神がそこはかとなく伝わってきてしばし感慨にふけってしまう。
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