豊浦町礼文華 






    子供の頃、何度も訪れている。
  5、6年程前から海岸周辺が整備され、かえって
  悲しいばかり。あのワイルドな味は無くなった。
  とにかく道がひどかったのを覚えている。
               



 閉鎖されたトンネルの跡。
 前はもっと海側に車道があった。

 以前この洞窟のようなトンネルの前に
「クラクションをならして入れ」という
 交通標識があった。が、父親が鳴らすのを
 見た事がないし、他の車が鳴らしているの
 も見た事がない。いつかこの細いトンネル
 を通る時に対向車がとんで来るのではない
 かと子供心にヒヤヒヤしていた。

 このトンネルは自分にとって、ここから
 「地獄の海岸線」(崖のような道だった)
 に続く序曲のような存在だったのだ。
      
 
         
 





 カムイチャシ遺跡

 ひどく急な階段。登りにくい。2,3日あとは筋肉痛でひどいだろうな、と思ったら降りてきて30分後
 にはすぐガクガクに。運動不足を反省する。
 しかし車の中でヒーターをつける程寒かった体が登った後では半袖に。とてもすがすがしくなった。

 「カムイチャシ遺跡は昭和46年に発見された。つぶて石の発見からアイヌが要塞として
  使用していた事がわかった。」
  つぶて石といわれると、小石? ・・・サイズより量なのか。
   
 





 紺碧の海。顔に透けるの黄金色のもみじの陽射し。

 つぶてをなげているような場合ではないようだ。格好の癒されポイントだ。

 木々をみていると豆のようなものがたくさんなっていた。豆?
 豆でもたべながら敵の船でも見張っていたのかな。
 

 
         
 


  室蘭本線旧線跡


  茶津崎西方のトンネル西口。
  このように中に入る事は出来そうだが・・・久々に気持ち悪いと思った。

  記録で1960年3月に作られた事がわかる。
  私が生まれた頃にはもう使われていなかったのだ。
         


  入らなくてよかったトンネル
  東口。
  ひどいヤブ。
  わかりにくいが、車の向かって
  左側にトンネルがある。
  後方の山がひどい地形を物語って
  いる。
                  





  こんなに海岸ギリギリの場所を汽車は走っていた。

  黒い汽車が夜の海をすれすれにガタゴトと、海の荒れる日は飛沫をあびながら猛然と進むところを
  想像していると、その危険とあいまって心に怪しく美しい絵となって浮かび上がってくる。
                       





 昭和27年の十勝沖地震の時に津波があり、今の礼文華駅の
 近くに住んでいた父は家の目前に津波が迫ってきたのを
 みてひどく恐ろしかったと今でも言う。
 みんなで山に逃げたが、津波が来る前に一度スッと波が引いて
 いく。
 まずしかった漁師以外の村人は一斉に浜に現れたタコや魚を
 採りに海に降りていったそうだ。

 ・・・信じられない話だ。
               


   

         
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