夕張の小さな旅 


2. 清綾町からシューパロ方面へ






  清陵の町並み。

  北炭夕張新炭鉱がある。
  





  北炭夕張新炭鉱

  北炭夕張新炭鉱の通洞口跡。
  頑丈にシャッターがおろされている。
  昭和56年のガス突出事故がおこり
  その翌年に閉山。


  清水沢へ。






  清水沢駅前通りの店並み。次は国道452号線を進み、シュウパロ湖方面へ。

  「ユーパロ谷のドンベーズ球場」。
  今村昌平監督が炭鉱最盛期の夕張で撮った映画だ。
  ヤマに生活する者の娯楽といえば映画があり、かつて夕張には17もの映画館
  があった。これが現在映画の町 夕張、といわれる伝統を築いたのだ。






  北炭火力発電所跡

  大正15年に作られ、平成2年に運転停止。
  北炭の経営する炭鉱に電力を供給する為つくられた
  石炭火力発電所。
  炭鉱専用火力発電所としては道内最大規模だった。
  この絶景(?)に初めて崖から見下ろした時は相当驚いた。

  大夕張ダムへ。シューパロ湖にかかる三弦橋が見える。








  三弦橋

  三弦橋は大夕張ダムが1962年に完成し、シューパロ湖
  が現れたため水没する森林鉄道線の為につけかえられた橋
  で、使用された期間はとても短かった。
  木材を運び、夕張森林鉄道はシュウパロ川と日陰沢
  の合流点と現 鹿島との間を1961年まで走っていた。







  三菱大夕張鉄道のトンネル跡
  明治44年大夕張炭坑の専用鉄道として運行されたのが
  はじまりだ。

  トンネルに、前はなかったフェンスが張られている。
  そういえばシューパロ湖が見渡せる小さな駐車場(この
  トンネルのすぐ前だが)に三角形の観光客用のトイレと
  展望台みたいのがあったがそれもなくなっていた。
  強烈に陰気なパワーを持ったトイレだった。
  ついに入れなかった・・・。
              





  白銀橋と南大夕張第二体育館。

  体育館と道路を挟んだ向か
  いに三菱大夕張鉄道の客車が
  保存されているのが見える。






  三菱大夕張鉄道の客車と貨物車。
  三菱大夕張炭鉱南大夕張炭鉱のもと石炭輸送線だった。

  昭和48年南大夕張〜大夕張炭山間廃止。続いて昭和62年には清水沢〜南大夕張間廃止となり約80年の
  歴史を閉じた。
  
  近くの民家の間にレールで作った橋がのぞく。





  古い商店。看板を見るとどれだけ古いのかが偲ばれる。

  一番洗い...白熊のゴム靴。履いてはきよい...藤倉のゴム靴。やまか味噌。
  大学目薬って明治時代からの商品だし。
  アルミは地球印。白熊、地球印・・。履いてはきよい、っていう言葉もアナクロだ。

  とても大きな商店だから、このあたりは相当にぎわいがあったのだろう。
  





  錦町の街並。

  古い看板。
  ホクレンのお米、パールライス。
  政府登録店。







 もと大夕張駅付近。付近にほとんど家がないが、商店やガソリンスタンドは残っていた。
 ここが大きな街だったことが信じられない。



 引き返し平和公園方面へ向かう。






平和公園方面へ


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