万字 (栗沢町)







  万字小学校

  夕張を出て栗沢町に入るとすぐあらわれる。
  なんとも素朴で親しみやすい外観だ。
  万字小学校の開校は明治39年、閉校したのは平成2年。70年の歴史がある。
  万字小学校は残念ながら廃校になってしまったが、となりの体育館は「体育センター」としてまだ
  使われているようだ。


  この周辺から美流渡あたりまでりんご農家がとても多い。
  すぐ近くに万字温泉という温泉があるのだが、万字炭坑で働く鉱夫達がもともと使っていた温泉である。
  木をくりぬいた浴槽にりんごの季節になるとりんごを浮かべてくれるそうだ。
  時間がなくて入浴できないが一度は入ってみたい。
    





  万字炭山公園近隣の家の物置き。
  いったいどんな過去がこの物置き
  に隠されているのか。
  シュールだ・・・。
  寺山修司の劇に出てきそうである。

            





 万字炭山公園。
 なにに使われていたのかわから
 ない倉庫とトンネル。
 トンネルは相当古そう。

      
         
 





  崖の中腹にあった坑口。崖の途中で撮影していると不安定な姿勢で滑って行きそうだ。
  よく近づいて覗いてみるとどこまでも続く暗い道。転がり落ちそう。

    
         
 



  たくさんのコンクリートや軌道の跡。
  石炭を運ぶトロッコがこの山を行き来していたのだろう。
  それならば上の写真の抗口はトロッコの通り道だったのかもしれない。
    
         
 






  炭山をずっと歩いて行くと行き止まりに滝が。
  こうしていくつか歩いてみると、もう炭坑と滝はつきものであるようだ。
  木にはぐみの実がいくつもなっていて、その明るい赤い色がとってもかわいい。ちょっとつまんで
  みると野性味のある甘さと酸味で一気に体の中がさわやかになっていくような気がする。
           




  万字炭山選炭場

  このように一部分だけが残って
  いる。ここから想像しようとしても
  どれだけの大きさがあったのかわか
  らないが、相当大きな選炭場だった
  らしい。
  この公園の駐車場のそばにひっそり
  と存在していた。
            





  万字寿町炭住

  ここはまだ結構人が住んでいるようだ。
  近くで子供達が遊んでいた。
         







  もと万字線の「万字炭山駅」を過ぎ集落の跡
  を車でトロトロまわる。
  その時、目の前にまるで時代をワープしたような
  町が広がった。なんだか「感じ」も変なのだ。
  特に一番左の写真の家の崩れたコンクリート壁が
  現れた時、そこから見る辻通りは北海道では
  とにかくあまりみないような雰囲気なのである。
  写真館に写真あり   

  上・一番右の写真の家とこの文 左にある写真の
  家は同じである。商店だったようだ。
  もともとは豪華なつくりだったようだ。
            






  潰れたガソリンスタンドと万字農業組合。
  すぐ近くに万字駅跡がある。
  万字駅は郵便局になっていた。
  
            






  巨大な商店。
  とにかくこの商店の建物の表と裏の顔が全然違う。商店側は閉店しているせいもあるがなんとなく
  無表情である。
  しかし裏側は華やかで、こういう造りをなんというのか知らないが観音開きの二階の窓がお城のようだ。
  そして良く見ると下はレンガの洋風でなんともすばらしい建物なのだ。
  写真館に写真あり

  万字はどうも変わった雰囲気を持った町である。
  けれど私にとって炭坑の町では一番様子が柔らかく、歩いていて落ち着く町だった。
         





  スキー毛糸とたばこの看板がかかっていた。
  商品を手渡しする魚のウロコのようなデザインの出窓が凝っている。

  この商店の横がすぐ万字駅跡。多くの人々がこの商店で買い物をしたことだろう。
  炭坑とともにとても栄えていた商店だったことが偲ばれる。

           

   



     万字線朝日駅

  蒸気機関車がそのままに保存されている。
  小雨の降る中、落ち葉をふみしめながらホームに立ってみる。

  大正3年に開通し岩見沢から万字炭山を結び炭坑とともに栄えた万字線も昭和60年には廃止されてしまった。
  

         

   

         
万字炭山廃墟跡へ



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